こんにちは!しょちょーです。
難病の患者さんを診ている先生方は多いと思いますが、必ず訪れる死期について、患者さんの想いをどのように受け止めていっていますか?
今回は僕自身の最近あったことをまとめていきたいと思います。
現在僕は進行性核上性麻痺の独居患者さんを診させていただいております。
2年ほど前から訪問しているため、嫌でも病状の進行が分かります。
以前は家の中を歩くことができましたが、現在は転倒を繰り返しついには電動車椅子で居室内を移動されています。
自身で生活を送るにも動作に時間がかかり、就寝されるのはいつも午前3時頃。
顔や体中には転倒後のアザがあり、治る前にまた転倒されます。
そんなとき患者さんがぽつりと、、、
「もう死にたい。生きてたってしょうがない。」
皆さんならどう受け止めますか?
気持ちを受け止めてあげたい
僕はこういうとき、肯定も同意もしません。つまり、受け入れるということはしません。
この「死にたい」という発言は、患者さんにとっては正解(本音)だとしても、僕にとっては正解ではないからです。
だから受け入れることはできません。
でも、理解を示したり、患者さん自身の価値観については尊重したいと思うのです。ただ患者さんと僕の意見が違うだけで、どちらも正解で、どちらも間違いではないからです。
なので、僕はこういうとき「死にたいと思ったんですね」と、患者さん自身の気持ちを復唱します。
そしてなぜそう思ったのかを質問します。
どうして死にたいと思ったのですか?
このときには沈黙が流れるときもあります。しかし怖いことではありません。患者さん自身がなぜそう思ったのかを考えている時間だからです。
このときには「母のところへ行きたい」とだけ仰ってくれました。
この方のお母様はすでにご逝去されているので、つまりは死にたいってことと同じように感じます。
が、「死にたい」と「母のところへ行きたい」は全く別物だと感じました。
守ってくれる、安心させてくれる時間を過ごしたい
そこからはお母様のお話へと続いていき、どのような毎日を過ごしていたかをたくさんお話してくださいました。
僕自身はほとんど相槌を打つくらいです。
お話を聞きながら感じたことは、表題の通り「守ってくれる、安心させてくれる時間を過ごしたい」のだな、と思いました。
大きな収穫です。患者さんの価値観に触れさせていただいたわけですから。
患者さん自身も色々と話されてスッキリしたのか、どことなく表情もやわらいでいます。
翌週訪問したら、お話を聞いてくれたお礼!と言われてバターサンドクッキーをくださいました。
価値観を認める、理解する
- 「死にたいなんて言わないで」
- 「もっと楽しいことありますよ」
- 「ケア頑張ったら少し楽になりますよ」
なんとか気を紛らわしたり、施術者の意見(価値観)に同意させていきたいと思ってしまうと、上記のような発言に繋がる場合もあります。
でもこれはあくまでも施術者の価値観です。施術者の意見です。施術者にとっては正解でも、患者さんにとっては違う意見ですから受け入れにくい不正解になると思います。
患者さん自身はすでに「死にたい」と自分の気持ち、正解を言っています。であれば、その背景を聞いていったほうがより価値観を知ることができると僕は考えてます。
あくまでも僕個人の考え方です。
皆さんなら、どのように受け止めていきますか?
今日は以上です。
それではまた!